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高知地方裁判所 昭和38年(ワ)197号 判決 1965年3月31日

原告 大黒貢

被告 国

代理人 杉浦栄一 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実<省略>

理由

一、原告が、昭和三八年五月三〇日午後四時五〇分から同年六月七日までの間、高知刑務所において未決の拘禁を受け、その期間中煙草を用いなかつた事実は当事者間に争いがない。

二、証人菱山辰男、同小川高年の各証言、原告本人専問の結果によれば、未決拘禁者が刑務所に入所する場合、煙草を所持する場合は一応は同意を得て廃棄処分をし、更に意に反してもその所持は許可していないこと、原告が昭和三八年五月三〇日高知刑務所に未決拘禁者として入所した際にも、所持していた煙草はすべて取り上げられ、原告は同日の夜、担当看守に対し煙草を喫わせて欲しいと申し出たが、これを拒否され、翌朝交替した看守に対し更に同趣旨の申し出をしたが、六法全書上の法文を指示してこれを拒否されたこと、同月三一日原告の弁護人であつた大坪憲三が原告と接見した際、同弁護士に喫煙の要求を訴え、同弁護士は原告を代理して請願状を作成し提出したが、これに対し何らの措置、回答のないまま、同年六月七日の釈放時まで原告の禁煙状態が継続したこと、(右請願状の提出以下の事実は争いがない)の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

三、原告は、請願に対する相当の処置をとらなかつたこと、禁煙処分の解除をしなかつたことをもつて法務大臣、刑務所長の違法な公権力の行使であると主張する。しかし請願に対しては何らかのこれに応じた措置を講ずべき義務は存しないしまた禁煙処分を解除しなかつたとの主張も禁煙処分の違法を前提としない以上無意味に帰する。要するに弁護の全趣旨により、原告の主張せんとするところを善意に解釈すれば、原告の在監中刑務所職員の取り扱いにより、禁煙を余儀なくされたことをもつて違法な公権力の行使というにあると解せられる。

四、しかして、監獄法施行規則第九六条によれば、「在監者には酒類または煙草を用うることは許さず」と規定され、右規定により原告の在監中高知刑務所係員は、その職務の執行として、原告に煙草を用いしめなかつたことが前記認定事実から窺い得る。

五、原告は右規則第九六条は違憲無効の規定であると主張する。

(一)  思うに憲法上保障される基本的人権はもとより憲法の明文上定められたものに限定されるものでなく、該規定は基本的人権中歴史的社会的に特に重要なものをとりあげて、その保障をしたものに過ぎず、憲法の趣旨が広く一般的に個人の自由を保障するにあることは同法第一三条の規定からも窺い得るところである。従つて個人の喫煙の自由もまた基本的人権の一として保障されているものといわねばならない。

(二)  しかしながら右憲法の保障は一般統治関係におけるそれであり、国家と国民との関係には別個の法律原因に基づくいわゆる特別権力関係の成立することも周知のとおりであり未決拘禁者は監獄という営造物を使用する関係において右にいわゆる特別権力関係にある。そして一般に特別権力関係の下にあつては特定目的に必要な関度において包括的に一方が他方を支配し、必要な規則の定立および命令強制をなし得るものであると解される。もつとも特別権力関係の理論は新憲法の下においてはこれを認め得ないとなす見解も存しないではない。しかし元来憲法は一般的な統治関係を律するものであり、他方これとは別に国家と人民の間に特別の統治関係が現実に存することはこれを認めざるを得ないものであり、かかる理論を用いない他の国においてもかかる特別な関係に対し、特別の法原理が妥当するものとされているところである。本件原告の主張はかかる関係の存在自体を否定するものでもないので、この点の詳論を省けば、要するにかかる特別権力関係の下において、いわゆる法治主義の原則、就中基本的人権の制限についてそれが如何に適用されるかに問題が存する。

そしてこの点についても、かかる特別権力関係の下においても法治主義の原則が全面的に適用があるとなす見解を初めとし、諸種の異見の存するところである。

当裁判所は結論として、かかる特別権力関係の存在はこれを肯認せざるを得ないとなすことは前述のとおりであつて、この関係は前記のように包括的な支配服従の関係であつて、法治主義の原則が排除されるものであること、この包括的支配関係に基づき、場合により基本的人権をも制限し得べく、ただ基本的人権の制限は各個の特別権力関係の設定の目的に照し、合理的な範囲に厳に制約されるものと解すべく(実際的にもそれぞれの特別権力関係は専門的、科学的、技術的な各種の行政目的のため設定されるものであるが、もし、広汎な基本的人権に触れる限り、一々法律の規定を俟つ外ないということになるとすれば到底その目的の円滑な遂行を期し得ない結果ともなろう)、この範囲においては一々法律の根拠を要せず、一般的に又個別的に命令強制をなし得るものであると解するを以て妥当となすものである。しかしてかかる関係はそれが法律の規定によると、任意に出たものであるとの区別はなく、そこに設定目的に照応する包括的支配服従関係の設定されるところにその本質があるものと解する。ただかく解したとて、例えば公務員関係については法律を以て一般的基準を設け又は受刑者に対する矯正教育等の関係については監獄法の存在する如く、特別権力関係に在る場合といえども各種の要請から法治主義の支配することを全く否定するものではない。かかる法治主義によつて規律される範囲外においては尚前述の特別権力関係の理論が妥当するところである。

(三)  そうすると本件の未決拘禁関係は前述のとおり営造物利用の特別権力関係にあるから、国が営造物権力の発現として、行政規則をもつて直接法律に規定されていない権利の制限をなしたとしても、そのことをもつて直ちに憲法に違反するものとはいえない。

(四)  以上の説明に照らし、以下監獄法施行規則第九六条が営造物利用の特別権力関係の範囲を逸脱するものかについて検討する。

未決拘禁は刑事訴訟法の解釈上逃走及び証拠の隠滅の防止を目的として被疑者又は被告人の居住を監獄内に限定するものであり、監獄という拘禁者集団を処遇する営造物において内部の秩序を維持する必要のあることも明らかである。他方広汎なる基本的人権にも自ら軽重の程度が存することも肯定しなければならない。そして人権制限の範囲は右の拘禁目的と制限される基本権の内容、程度の衡量の上に規則定立又は具体的処分の合理性の有無或いは程度が判断さるべきである。かかる見地からすると、証人菱山辰男、武島理守の証言に微しても喫煙に伴う火気の使用に起因する火災発生のおそれが少なくなく、火災発生の場合における被拘禁者の逃亡は、直接拘禁の本質的目的に背反することは明らかであり、更に拘禁状態にある被拘禁者の集団内における火災が人道上重大な結果を発生せしめることが充分予想され、又現在の管理態勢では喫煙許可により通謀のおそれがあり、かつ所内秩序の維持にも支障を来すことが認められる。

一方、煙草は一般的に衣類、糧食、石けん等の生活必需品ではなく、ある程度普及率の高い単なるし好品に過ぎない。また特殊の愛好者が禁煙により相当の苦痛を感じるとしても、人体に対し障害を与えるものでもない。そうすると以上の拘禁目的と、これに背馳するおそれの多分にある、しかもし好品に過ぎない煙草の喫煙を禁止したとしても、その程度の自由の制限は拘禁による人身の自由に対する制限の合理的範囲に属するものと断じて差支えない。

(五)  原告は、諸外国の立法例を承げ火災防止の処置(喫煙室の設置、係官の増員)をとることによつて喫煙を許容しつつ火災の危険を防ぎ得ると主張する。現行制度は行刑の目的とならない未決拘禁者が既決の在監者と等しく一の監獄法で規律されているために未決拘禁者の取扱として妥当を欠くものとし既に早くこれが改正が議られたこともあり、当裁判所も少くとも本来無罪の推定をうける未決拘禁者の処遇として、火災防止等の対策を確立したうえでのある程度の喫煙の自由を許容することがより妥当な取り扱いであると解するにやぶさかでなく、既に久しく論じられている一般行刑制度の改善とともにこの点もまた速に改良されるべきことが期待される。しかし右のような取り扱いがより妥当であるとしても、現実に前述のような拘禁目的の達成について合理的な必要がある以上、前記規則第九六条が違法なものとはいえない。

(六)  原告は禁煙による苦痛と拘禁は相俟つて、憲法第一八条にいう苦役に当るというが、拘禁ならびに禁煙の適法性は上来説明に照らし明らかであるのみならず、右にいわゆる苦役とは一の強制労役を指称するもので、右の禁煙処分とは自らその性質を異にする。所論は採用するを得ない。

六、以上の次第であるから監獄法施行規則第九六条に基づいて、被告の機関である高知刑務所長の部下職員が原告に対して、前記規則により収容期間中喫煙させなかつた処置は、正当な職務の執行であり、違法な公権力の行使というを得ないから、原告の主張は、その余の点を判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 合田得太郎 小湊亥之助 松島和成)

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